A「日本人は本来、漆器というか、おわんを使ってメシを食ってきたんです。豊臣秀吉の朝鮮侵略以後、陶磁器でご飯を食べるようになった。一時期、朝鮮に陶土が多いから、土まで輸入するんですね、秀吉以後。また、磁器は石を砕いた粉ですが、中国からそれを輸入する。結局、日本は何をするかというと、茶人がよく言う''火ばかり''というわけです。この''火ばかり''はおもしろい表現で、日本でできた陶磁器は中国、朝鮮とはまったく違った味のものなんですね。朝鮮人にとってはめし茶わんで日常雑器であったものを、「井戸茶わん」とか何とかいって、日本人は芸術品にしてしまう。これは心ですね。中国磁器の場合、清代になると、技術的に~~~~~いないわけです。中国に置き去りにされた残留孤児で景徳鎮になった陶工の職人が、中国人の絵つけ専門の奥さんと二人して日本に帰り、有田の窯場に今いるんです。ところが、景徳鎮風をやろうと思っても、''火ばかり''の話で、よき磁器の土がないもんですから、ちょっと厚めになるんです。それだけじゃなくて、一年、二年とたつうちに景徳鎮美学がなくなり、日本人の焼き物になったんです。」
B 「''心''になったんですね。」(1996/12/18)